【アクテムラとわが研究人生 おわりに】
2025.06.10
おわりに
最後までお読み戴いた皆様に心よりお礼を申し上げます。
「vol.0 予告」に述べましたように、私のような凡人が、何故、日本で初めての抗体医薬アクテムラの研究開発に成功することが出来たのか、その経緯をありのままに書くことによって、イノベーション創出に勤しんでおられる皆様に少しでも勇気を与えることが出来たのであれば本望でございます。
既に弊社Newsにてご報告させていただいておりますが、昨年、第三回Cytoline lifetime achievement award を受賞いたしました。 受賞名にありますように、アクテムラの発明と退職後のアカデミアやAMED,そしてOBPCでの活動など、私のライフワークを評価して下さったということですので、とても特別な気持ちで嬉しく思いました。受賞スピーチを求められましたので、その全文をご紹介させていただきます。
創薬ベンチャーを取り巻く環境は厳しい状況ですが、今後も体が動き、頭が働いている限り、創薬を夢見てご活躍の皆様のお役に立つことを希望しております。ご遠慮なくご連絡下さい。
皆様のご健康とご発展をお祈りしております。
皆様こんばんは。
まず、最初に、Lifetime Achievement Award(LAA)2024の受賞者に選出して下さいました審査員の先生方、そして主催者の皆様に、厚く御礼申し上げます。
大変光栄で、嬉しい気持ちで胸が一杯です。受賞のお知らせを頂いたときには、まるで「胡蝶の夢」のようでした。
中外製薬に就職してから退職まで40年余り、そのほとんどの時間を免疫関連疾患の治療薬の研究に割きました。長い年月が掛かりましたが、ようやくアクテムラの誕生に漕ぎつくことが出来ました。振り返って見ますと誠に幸運な研究人生だったと思います。
アクテムラは、現在120か国以上の国々で関節リウマチ患者の治療に用いられていると聞いています。なくては困る治療薬であるとの評価を受けているようです。
私が考えておりますアクテムの重要な特徴を申し上げますと、それは、免疫是正作用だということになります。患者さんでは免疫の状態がバランスを崩しているのですが、アクテムラはこれを正常な免疫状態に戻し、その結果、病気を根本から治していくと考えられます。
折角の機会ですので、もう少し関節リウマチのお話をしたく思います。関節リウマチは原因不明の難病ですので、優れた効果を発揮する医薬品の研究開発は極めて困難でした。やっと、21世紀になってレミケードやアクテムラなどの抗体医薬品が開発され、病気の治療が出来るようになりました。当時、バイオ医薬品の登場によってリウマチ治療に革命が起こったと言われました。病気の名前も慢性関節リウマチから慢性という2文字がなくなって関節リウマチとなり、治療で治る病気になりました。それで、是非、皆さんに覚えて帰って頂きたいことがあります。それは早期発見早期治療が大切だということです。発症して最初の1,ないし2年間で関節の破壊が急速に進行します。ですので、リウマチかなと思ったら、早めにリウマチ専門医の診断を受けることが大事ですので、そのことを覚えておいていただくようお願いいたします。
アクテムラは、関節リウマチの他にも、今まで治療が困難であったいくつかの免疫難病に劇的に効果を発揮します。キャッスルマン病、若年型全身性特発性関節炎、成人スチル病、視神経性脊髄炎、等々です。
患者さんやご家族から直接、「長い間病気に苦しみましたが、アクテムラのお陰で元気になりました」というお話をお聞きするのは、本当に嬉しいことです。アクテムラを開発することができて本当に良かったと思います。
私は68歳で中外製薬を退社いたしましたが、その時に、思ったことがあります。それは人生を終わるまでにもう一つ新薬を生み出すために何らかの貢献をしたいということでした。ある日のことですが、本日ここに参加しておりますF.O.R株式会社の土木田斉社長から、「バイオ医薬品のコンサルテーションの会社を設立するのはどうか」とのご提案を頂きました。それが大杉バイオファーマコンサルティング株式会社でございます。バイオ医薬品の開発を目指す皆様を後方支援させて頂いておりまして、設立して10年目を迎えております。
その他、一橋大学の特任教授としてイノベーション研究に参画しましたし、東京医科歯科大学、北里大学、城西大学、日本薬科大学などで特別講師を担当し、また、いくつかの製薬会社の研究顧問としても働いて参りました。
また、長い間、AMEDの専門委員、課題評価委員としての務めも続けております。
これらのいずれのお仕事も、日本から新薬を生み出そうとご尽力されているアカデミアの先生やベンチャー企業や製薬企業を支援したいという思いからお引き受けしたものでございます。
私は、講演や講義の中で、必ず紹介するスライドがあります。それは、FDAが承認した抗体医薬品のリストです。2011年の時点で30種類の抗体医薬が承認されていたのですが、日本で開発されたものはアクテムラがたった一つでした。残りの29種類の抗体医薬は欧米で開発されたものです。日本は大きな後れを取ったということが分かります。そして、もっと重要な点は、欧米で開発された抗体医薬は、どれもが、ベンチャー企業によって開発されたという事実です。製薬企業が研究を開始したものは一つとしてありません。ベンチャー企業がイノベーションに果たす役割は極めて大きいことが良く分かります。
それから10年以上経った日本では、現在も、創薬ベンチャーが育つ環境が整備出来ているとは言えません。投資会社はリスクの高い創薬ベンチャーへの投資には二の足を踏みます。一方、製薬企業は臨床試験で有効性が認められるまでライセンス致しません。こんなことでは日本からアカデミア発のイノベーションが起こるわけがないと思います。
ベンチャーのエコシステムが整備されるまでは、かつての中外のように、製薬企業がイノベーション創出を積極的に実践して画期的な世界に誇れる新薬の開発を目指すしかありません。シュンペーターは、「オープンイノベーション」と題した著書の序文において、「殆どのイノベーションは失敗する、しかし、イノベーションしない企業は死ぬ。」と述べています。
プロジェクトXというTV番組をご覧になっている方も多いかと思います。私は番組の最初と最後に流れる歌が好きです。最後の歌では、「ヘッドライト、テイルライト、旅はまだ終わらない」、と歌われています。
アクテムラの開発までに25年の年月が必要でしたので、私のライフワークになりました。現在、80歳になりましたが、頭が働き、体が動く間は創薬の世界で、もう少し社会貢献ができるよう微力でも尽力し続けたく思っております。
最後になりましたが、長年お世話になりました中外製薬に深謝いたします、私に自己免疫疾患の治療薬研究に導いて下さり、論文博士の取得を支援して下さった上で海外留学の機会を与えていただいたこと、この留学がアクテムラ発明に繋がりました。そして優れた上司の皆様に恵まれましたことで私は思う存分研究を進めることができました。やりたいと思う研究に反対されたことはなく、常に応援してくださいました。そして私よりも若い共同研究者らは先の見えない不確実性の高い探索研究にお付き合いしてくれて、沢山の研究成果を上げて下さいました。心より感謝申し上げます。
妻からは「あなたは、会社のヒトね。」と言われたことも記憶にありますし、休日でも、実験動物の床替えをし、水と餌を与えるために出勤し、家に居ないことも多かったので、娘が、保育園の先生に「お父さんのお仕事は?」と聞かれて、「ネズミを飼っている」と答えたそうです。迷惑を掛けましたが、愚痴も言わずに応援してくれた家族に感謝しております。
長年ご支援を賜った多くの方々に、心より厚く御礼申し上げます。
ご清聴ありがとうございます。
終わります。
補足
私は入社直後、免疫研究を勧められましたが、研究所には免疫研究者は誰一人いませんでした。私は上司と損談しながら、アカデミアの専門家の指導を受けながら少しずつ免疫研究の基礎を作り上げていきました。国立予防研究所、東京大学医科学研究所、阪大癌研、などで実験技術や知識を習得していきました。学会に参加してアカデミアの研究者と議論するのを重要視していました。このような習慣がアクテムラの産学連携にもつながったのだと思います。自然に阪大との共同研究に流れて行ったのだと思います。中外製薬が、私をバックアップして下さったことがアクテムラの成功につながりました。