【アクテムラとわが研究人生 vol.38 バカに徹する】
2025.05.20
バカに徹する

アクテムラ売上高の年次推移

成功の秘訣は何か、には一言では答えられない
「アクテムラ」は2008年の日本に続いて、欧州で09年、米国で2010年に販売が開始された。2016年時点で、世界115カ国で承認され、約70万人の患者さんの治療に役立てられている。発売以来、売上高は順調に伸長し、2013年にはブロックバスターの仲間入りを果たした(図1)。それ以降も増加を続けており、2016年度は1697億円の売上高を達成したと報じられている。前回紹介した書籍「新薬創製」の中(p.16の表2)で、一橋大学による興味ある調査結果が示されている。調査対象となったのは日本で創製された11品目の画期的医薬品であるが、そのうち8品目のピーク時売上高は、当該会社全体の売上高の15%以上に達し、「アクトス」は27%、「クレストール」と「アリセプト」に至ってはいずれも40%を占めるということが分かり大変驚いた。ちなみに、この時の調査によると、アクテムラは中外製薬の売上高の17%だった。アクテムラはその後も売り上げを伸ばしており、会社の売上高により大きく貢献しているのは間違いないだろう。また、医薬品産業は著しい輸入超過産業であるが、アクテムラの売上高の多くは海外でのものであり、外貨獲得に寄与している(図1)ことも我々の誇れる点だ。
米Apple社の元CEOであるSteve Jobs氏が亡くなった翌日、彼が米Stanford大学の卒業式でのスピーチで、 “Stay hungry, stay foolish”という言葉を学生たちに激励の言葉として送ったことが新聞記事で紹介され、「“stay hungry”という言葉はよく耳にするが、“stay foolish”と言ったのは彼が初めてだ」との解説が付けられていた。私は以前からアクテムラ誕生に関わる講演やエッセーの中で、いつも「バカに徹しなければ新しい発見を生むのは困難だ」と述べているので、自分の考えがJobs氏の言葉と全く同じだと深い感銘を受けた。ただ、彼が最初に言ったのではなく私の方が先だと思っていた。ところが、つい最近知ったことだが、Jobs氏の愛読書だった「whole earth catalogue」という本の最終号(whole earth epilogue)の裏表紙にこの言葉が書かれており、Jobs氏はそれを引用していたことが分かった。1975年に発刊された本であり、私は当時31歳だったので残念ながら先んじられている可能性がある。
前置きが長くなったが、頭の良過ぎる人からはイノベーションが創出されにくいのかもしれないと、私は考えている。頭の良い人は得られるだろう実験結果を先読みして、「そんな実験はしなくてもやる前から結果は見えている」と考えて、実施しない。それに対して、「やってみなければ分からない」と考える者が、非常識とも思えるような仮説を立てて実験し、新発見の機会に恵まれることがある。仮説が外れ、期待した結果が得られない場合が多いため、頭の良い者に「また、バカなことをしている」と、しばしば言われることになるのは確かである。しかし、常識にとらわれない斬新な作業仮説がまれに的中することもあるし、時には予想と違う意外な結果が得られることもある。この偶然に得られた予想外の結果に敏感に反応して新しい発想をすることから画期的発明が生まれる場合もある。
こうした偶然の機会を見落とさず我がものにする能力はセレンディピティーと呼ばれているが、アクテムラの研究開発過程はセレンディピティーとも少し違うように思う。大胆な仮説を立てて、とにかくやってみた。そしたらうまくいった。このような幸運の連続であったと思う。利口ならリスクを冒してまでやらなかったかもしれないことをやったわけで、「バカに徹したからこそうまくいった」という思いがする。革新的な発見を目指すのであれば、バカ(名利を顧みないで、がむしゃらに)になって誰もやっていないことをやることが大事だと思う。
「成功した秘訣は何ですか?」とよく聞かれるが、「秘訣は無い。やりたいこと、やらなければならないことをやっただけ」と答えることにしている。しかし、それを実行するのは難しい。実行できる者は数少ない。私が思うに、「画期的」「革新的」というのは「非常識」と同意語である。常識にとらわれると当たり前のことしか発想できない。非常識だから、周りからは「何をバカなことを考えているのだ」「気でも狂ったのか」と非難されることになる。大多数の者はそう言われたくないので斬新な考えを提案しない、実行しないのである。
アクテムラがキャッスルマン病の治療薬として製造承認を受けた頃である、年1回開催される「インターフェックス・ジャパン」という医薬品関連のイベントで、主催者からアクテムラの研究開発の経緯に関する講演を依頼された。企画した人から、事前に打ち合わせしておきたいと言われてお会いした。話が進むうち、その人は、「これまでに画期的新薬の研究開発に成功した人と何人かお会いして話したけれど、みんな変人でした。しかし、大杉さんはまともな方ですね」と言った。思わず私は、「研究者はみんな、周りの人から見ると変人ですよ。私も、どこか皆さんと違うところがあり、普通の方の枠からはみ出した部分があるのだと思います」と答えた。
では、どの部分が変人たるゆえんであろうか? その人と別れた後、自問自答してみた。「極端に楽観的である」「能天気で、正しいと思ったことをそのまま素直に、正直に述べる」「損得を考えないでやりたいこと、やらなければならないことをやる」といったところだろうか。要するに“stay foolish”を実行しているのである。自身のこのような気質・性格は親からの遺伝なのか、あるいは幼い頃の環境によって形成されていったのであろうか? 本稿の初めの部分に筆者の幼少の頃から大学院卒業に至るまで、過去を振り返って記述したが、そこから何か解答が導き出せるだろうか。
初出:日経バイオテクONLINE 2017年6月12日掲載。日経BPの了承を得て掲載