【アクテムラとわが研究人生 vol.36 思いがけず大学教授に】
2025.05.06
思いがけず大学教授に

岩波書店から発刊された拙著「新薬アクテムラの誕生」の表紙

日経BP社から発刊された書籍「新薬創製」の表紙
退職後、いつしか大学教授という立場に憧れを抱くようになっていた。企業内研究者として積み上げてきた長年の研究実績が学問的・学術的に評価されたと意識できると思ったからだろうか。また、知人の中に企業を定年退職後に大学教授になる者が何人か続いたことも影響したのかもしれない。私にも思いがけずそのチャンスが訪れたのである。
「Medical ASAHI」誌が2011年1月に新しく連載を開始した「サムライたちのクスリ─ニッポン発の創薬を目指して」の第1回目に、私が「トシリズマブ」と題して、記事を執筆した。このアクテムラの研究開発の経緯を記したエッセーを見た一橋大学の研究員が、同大学イノベーション研究センター(当時、以下肩書はいずれも当時のもの)の長岡貞夫教授に「こんな人がいますよ」と、その記事を見せたことに始まる。
長岡先生は、三共(現第一三共)でスタチンを発明し、その後、東京農工大学に移られた遠藤章教授が、その発明に至るまでの研究開発の経緯について研究中であった。アクテムラ発明の秘話を記した私の記事内容に大変興味を持っていただき、「ぜひインタビューに協力してほしい」と依頼された。これまで培ったアクテムラの研究開発の経験を伝え、イノベーション創出に役立ちたい、との思いで喜んで教授の依頼に応じることにした。
あらかじめ用意された質問に1つ1つお答えするというインタビュー形式だった。それからしばらく日数がたってから、さらに追加の質問がある、とのことで、2回目のインタビューに応じた。3回目は研究プロジェクトチームメンバーの前でインタビューが行われ、研究センターの教授中心の集会での講演も要請された。そんな経緯を踏んで、一橋大学イノベーション研究センターの特任教授に就任したのは、2011年6月だった。間もなく、科学技術振興機構社会技術研究開発センター(JST/RISTEX)によって支援を受けた「イノベーションの科学的源泉とその経済効果」と題する研究開発プロジェクトがスタートした。長岡先生が代表研究者として采配を振った。その後、長岡先生から、「アクテムラ発明の経緯をまとめて1冊の本として出版するように」、との課題が与えられた。プロジェクトの期限である2014年3月までに発刊するという条件付きであった。
書籍は原稿執筆開始から約2年後の2013年3月7日に、岩波書店から、科学ライブラリーシリーズ205「新薬アクテムラの誕生」として発刊された。本シリーズで取り上げられた医薬品は、遠藤章氏による「スタチン」に次いで「アクテムラ」が2番目であった。書店編集部の吉田宇一氏が企画書を作成し、同社社内の編集会議で企画提案していただいた。「編集会議での企画書に関する審議は厳しいので提案が通過するという保証が無い」と、吉田氏からはあらかじめ断りを入れられていたので、心配していたが、一発で編集会議の承認を受けたそうである。吉田氏の手腕によるものであり、心より感謝している。
吉田さんからは、「アクテムラは、希少疾病であるキャッスルマン病(免疫疾患)に効く治療薬として、世界で初めて承認された国産初の抗体医薬である。その後、世界中で多くの人々を苦しめている関節リウマチや全身性若年型特発性関節炎など、様々な難治性の自己免疫性疾患の治療薬としても有効なことが明らかにされ注目を集めている。その開発者本人が、動機から開発・承認までのプロセスをまとめ新薬開発に伴う様々な苦難・失敗の克服、特許や企業利益の優先で忌避されがちな産学連携の良いモデルとして、また日本の薬事制度・行政の問題点を鋭く突いた証言として貴重な記録になる。創薬研究に関わりのある多くの方に、またそれを目指す若い学生や研究者に大いに役立つ書籍として打ち出したい」と言っていただいた。
また、児玉龍彦先生(東京大学先端科学研究センター教授)からは、「遠藤章氏の新薬スタチン研究と並んで、大杉博士の業績は記録に残しておくべき事例」と薦めていただいたと聞いている。長岡先生からは、日本発の画期的な新薬の開発ケースであることに加えて、製薬企業における新薬開発の在り方、産学連携の役割、日本の新薬承認制度の在り方などにつき、重要な含意がある事例となっており、書籍として出版する価値が高いとして推薦してくださった。
一橋大学では、JST長岡プロジェクトの研究会が月1、2回開催され、ほぼ毎回参加した。メンバーは、日本製薬工業協会やバイオインダストリー協会に派遣された製薬企業の社員や大学の経済学者と一橋大の職員や大学院生で構成されていた。プロジェクトは、日本で開発された12の革新的医薬品に関しての文献的調査を進め、発明者本人に対するインタビューに基づいて、科学的源泉から製品化までの過程をまとめるものだった。アクテムラもその1つとして取り上げられた。
一橋大学イノベーション研究センター大学院博士課程の原泰史氏が中心的に調査・分析を担当した。その成果は、一橋大のワーキングペーパーとして公表されている(一橋大ウエブサイトで公表)。その12品目のワーキングペーパーが1冊の書籍としてまとめられることになり、2016年4月に日経BP社より「新薬創製」というタイトルで発刊された(本表紙添付)。同書の前書きには、‘サイエンスの進歩と技術進歩の間の好循環をいかに形成していくかは多くの産業が直面している普遍的課題であり、本書で記した革新的医薬品創出の事例は、こうした日本のイノベーションシステム全体の課題にも示唆を与えてくれる’と記されている。‘技術進歩の最も重要な源泉はサイエンスである’‘革新的医薬品の研究者・開発者は知識のギャップを埋め、不確実性に挑戦したアントレプレナー であり、企業内アントレプレナーシップの在り方に示唆を与えている’(文章は一部変えて引用)とも述べられている。
これらの書籍に関わる経験ができたのも、大学に籍を置いていたからである。2015年3月末日をもって大学を辞職したが、文系の大学で自分のこれまでの研究一筋の人生では得られなかった貴重な体験をし、知識や考え方の幅を広げることにつながったと感謝している。
初出:日経バイオテクONLINE 2017年5月30日掲載。日経BPの了承を得て掲載