【アクテムラとわが研究人生 vol.24 危機を救った大発明】
2025.02.11
危機を救った大発明

IL6が多発性骨髄腫の増殖を促すことから、IL6の作用を強く阻害するアクテムラが
多発性骨髄腫の治療薬になることを説明した模式図
1989年春、御殿場に新所長が赴任し、にわかに「選択と集中」の嵐が吹き荒れる中、「応用研に来ないか」と誘われた。85年4月に高田馬場に応用研究所が発足してからずっと所長を務めていた西井易穂さんから異動を勧められたのである。しかし、応用研の職務は、市販後製品に関する研究であり、異動すれば今担当している新薬研究のプロジェクトから離れることになる。私はそのことを恐れ、ちゅうちょしていた。
そうこうするうちに、この画策がどこからか漏れたのだろうか、ある日、上司から「君は、応用研に行ってはならない」とくぎを刺された。私を気にかけてくださった西井さんには申し訳なかったが、このとき御殿場にとどまったことで、アクテムラを製品化するまで悔いの無い人生を送ることができた。
前回で述べたように、打つ手が無く途方に暮れていた89年の半ばに私が思いついたのは、基礎実験で用いていたIL6受容体に対するマウスのモノクローナル抗体(PM1)を開発候補品にすることだった。抗体はれっきとしたバイオ医薬品であり、この提案はバイオ医薬品の研究開発に重点を置いていた会社幹部の心を射止めた。首の皮1枚で命がつながった感がある。
とはいえ、アクテムラを自己免疫疾患治療薬として開発するという当初の目標は、断念せざるを得ない状況に陥った。なぜなら、当時の関節リウマチ治療薬の月薬価は、高くても1万円程度であった。それに比べて抗体医薬の生産コストは高く、事業性を見いだせないまま開発を進めるのは難しいと判断された。
そこで助けられたのは、広島大学原爆放射線医学研究所の河野道生先生による大発見である。IL6が多発性骨髄腫の増殖因子であることを示した論文は88年、Nature誌に掲載された。超一流国際誌に受理されたことは、この知見がいかに斬新であったのかを如実に示している。河野先生は多発性骨髄腫という病気を細胞学的な観点から考察する研究を展開し、学会に新風を吹き込んだ新進気鋭の研究者である。先生は、多発性骨髄腫細胞を培養中、ある蛋白質性の因子が細胞の増殖を促進することを発見し、その因子の同定を試みていた。様々な研究結果からその因子がIL6に似た性格を有していると考え、大阪大学の平野俊夫先生に依頼してIL6に対する抗体を入手した。そして、患者から採取した細胞を培養すると細胞が自己増殖するが、そのときIL6に対する抗体を添加すると細胞の増殖が抑制されることを突き止めた。IL6の作用をブロックすれば多発性骨髄腫細胞の増殖を止められることを示唆する結果を得たのである。
当時(今でもそうかもしれないが)、癌の治療薬といえば化学療法剤であった時代に、このような新しい作用機構を有する癌治療薬の研究開発は周りの注目を集めるに違いないと考え、私はアクテムラの開発を提案したのだった 。
制癌剤の薬価は、自己免疫疾患治療薬のそれよりも高く、それならば事業性が期待できるということで研究提案が承認されたのである。
初出:日経バイオテクONLINE 2017年2月27日掲載。日経BPの了承を得て掲載