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【アクテムラとわが研究人生 vol.23 苦肉の策】

2025.02.04

苦肉の策

 

 

 大手製薬企業が大きく成長し、次々とつくば学園都市に新研究所を建設し始めたのは1980年代前半のことだった。その先駆けとなったのは82年に移転したエーザイである。資金的に余裕の無かった中外製薬では、数年遅れで新研究所建設計画が打ち出された。田園型の研究所というキャッチフレーズで、東京都豊島区から静岡県御殿場市へ移転する内容だ。東京から100km以内の距離という条件を満たす地点として他にも何カ所か候補が挙がったが、最終的に御殿場に決まった。「時は金なり」のバブル経済時代の真っただ中の87年6月だった。

 

 本社から新研究所までの所要時間は、東海道新幹線三島駅からタクシーを利用して1時間半程度。毎日それだけの時間をかけて通勤するのは困難だったが、長男が14歳で中学2年、高校受験を近くに控えての転校は難しく、家族そろっての引っ越し話は家族の口からこれっぽっちも出なかった。家内に「御殿場勤務になった」と伝えると、「あ、そう」の一言だけが返り、私は単身赴任寮の一室に入ることになった。

 

 寮は突貫工事で建てられたためコンクリートが乾ききっておらず、湿気の高い土地柄であることに加えて、入居したのがちょうど梅雨時だったため、2晩留守にして帰宅すると畳が青いじゅうたんと化していた。金曜日に東京の自宅に帰り、日曜日の夜戻り、真っ暗な中、障子を開けて部屋の中へ一歩踏み込んだとき、スーッと足が沈んだ感じがし、点灯すると一面のカビだった。

 

 85年4月の組織改編で私は新薬研究所研究第三部の所属となっていた。部長は免疫研究室時代から米国留学中の80年までの10年間上司としてご指導を賜った松野隆さんだった。移転3年後の90年5月、私は研究第二部に配置転換され部長代理を務めることになり、IL6阻害剤の探索のみのチームリーダーという立場から、部内の多くの研究テーマを統括する立場になった。その結果、同じ部署内に「IL6阻害薬の探索研究」と「IL6の血小板増多剤としての開発」という研究テーマが並立することになった。なお、88年2月に「BSF2アンタゴニスト」というプロジェクト名は「BF検体」に改称された。

 

 ある日、本社の製品企画部から連絡が入り、「IL6の作用特性を知りたい」「どのような副作用を生じる危険性があるのか知りたい」という問い合わせを受けた。岸本研との共同研究が始まってからは、我々の所にIL6周辺の関連情報が大阪大学から逐一入ってきていた。例えば、とある製薬会社が、癌患者の免疫機能を活性化する薬剤として開発を進める過程でIL6を患者に注射したところ、激しい全身の痙攣や高熱などの副作用症状が表れたという当時の最新情報も得ていた。そこで私は、「IL6には百害あって一利無し」と根拠も含めて報告した。IL6そのものは自己免疫疾患の原因因子である可能性が高く、IL6そのものを薬にするのは難しいと信じていた。

 

 新研究所が稼働して約2年たった89年、2代目所長として赴任したのは本社の製品企画部でEPO製剤の開発を担当した貞広隆造さんだった。新所長の指導下、研究体制が再整備され、研究領域や研究プロジェクトにも「選択と集中」の波が押し寄せた。当時、中外製薬は2つのバイオ医薬品の開発に成功した経験と技術を生かし、さらにバイオ企業としての発展を目指していた 。IL6を血小板増多剤として開発を進めようというのも、この方針に沿ったものだった。この方針に沿って研究所においても、これからは分子生物学中心のバイオ研究にシフトするとの方向性が如実になった。

 

 我々は可溶性受容体で挫折し、低分子量のペプチド性化合物でヒットするものが見つからないことから、苦境に追い込まれていた。その上、免疫・アレルギー領域が重点領域から漏れたこともあって、BF検体(IL6阻害剤薬)の研究テーマは風前のともしびとなった。「IL6が自己免疫疾患の原因で、阻害薬が画期的な薬剤になるかもしれない」と主張する私の考えなどは、「何の根拠があってそのような奇想天外なことを言うのだ」と思われていたに違いない。私は、それを覆すだけのエビデンスを持ち合わせていなかった。ただ、これまでの自分の基礎研究と岸本研の研究をつなぎ合わせて、IL6阻害薬を探し求めれば何かを見いだせると確信していた。そして、そんな私は苦肉の策を思い付く。基礎実験でIL6の作用を阻害するために使っていたIL6受容体に対するマウスのモノクローナル抗体(PM1と呼ばれていた)を開発の候補品にしようと思い立ったのだ。89年5月、PM1のヒト型化の検討が始まった。

 

初出:日経バイオテクONLINE 2017年2月20日掲載。日経BPの了承を得て掲載

 

 

 

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