【アクテムラとわが研究人生 vol.21 餅は餅屋】
2025.01.21
1986年10月、BSF2(IL6の旧呼称)アンタゴニストの探索を目的とした共同研究契約が締結された。大阪大学ではIL6受容体遺伝子のクローニング、中外製薬ではIL6と疾患の関連性を探る研究と明確な役割分担で共同研究が始まった。IL6のcDNAがクローニングされてからわずか数カ月という極めて急速な展開であった。
産学連携では、両者が共通の目標を掲げて同じことを実施しなければならないと考える読者もいるかもしれないが、前回述べたように、それでは事はうまくは進まない。むしろ、それぞれが別々に興味のあるゴールを目指して突進することこそ成功の秘訣なのではないか。なぜなら、アカデミアには基礎研究者として実績を積み、世界の最先端を走り続けなければならないという使命がある。また、企業には画期的な新薬を開発し、難病に苦しむ患者を救わなければならない責任と義務がある。そもそも、それぞれの目標が全く異なるのである。
では実際に大阪大との共同研究とはどんなものだったのか、以下に一例について述べる。
共同研究の最初に、まずは両者の作業分担を含め将来計画を話し合った。IL6の遺伝子が同定された86年当時、サイトカインの細胞内信号伝達の仕組みはまだほとんど解明されていなかった。大学側の興味は細胞内への信号伝達に重要な働きを担う受容体を同定することにあった。IL6が細胞内に信号を伝達する仕組みを解明するためには受容体の遺伝子が必須であるということで、早速クローニング作業に入ることになった。IL6受容体の遺伝子をクローニングして塩基配列を決定するのが喫緊の課題となったのである。これは、完全にアカデミックな研究であり、薬の開発は第一義的な目的ではない。
企業側は、阻害剤を見つけ出すことが唯一無二の目標なので、ひたすらその方向性にかじを切る。最初に立てた戦略は大学で取れた受容体を阻害剤として活用するアイデアである。すなわち、IL6受容体の細胞外ドメインならIL6をトラップして作用を阻害するだろうと考えた。実際、当時、受容体を薬剤として開発しようと研究を進めるグループもあった。例えば、IL1受容体を解熱などの抗炎症剤として開発していた企業もあったし、Fcε受容体によってIgEをトラップする抗アレルギー剤の開発も進められていた。
私は当初、SLE(全身性エリテマトーデス)や関節リウマチなどの治療薬の開発を念頭に入れて共同研究を開始したが、IL6が関わっている可能性のある疾患はそれ以外に幾つも考えられた。そこで、我々中外側では 様々な疾患の患者の血液や尿中のIL6レベルを測定することにした。サンプルは、神戸大学医学部杉本嗣先生や金沢医科大学の清水史郎先生らから供与を受けた。SLE、関節リウマチ、IgA腎症、糸球体腎炎、乾癬などの各種自己免疫疾患の他、各種の癌に罹患した患者由来のサンプルが含まれていた。しかし、サンプル数も限られており、関節リウマチの関節滑液中のIL6値が高いことが確認できた以外には、これといった新しい成果には至らなかった。なお、IL6の定量はバイオアッセイで測定したが、チームの福井博泰さんが岸本研への短期間派遣によって技術習得し、中外に導入した。
88年2月、大学側によって計画通りIL6受容体遺伝子が同定され、この成果に基づいて企業側では人工的に可溶性受容体(受容体の細胞外領域)を作製し、IL6の阻害活性を調べた。しかし、IL6をトラップしても阻害活性を示すことは無かった。なぜそうなるのか、我々企業側では皆目見当もつかなかったが、その後、大学側によってIL6の信号伝達の仕組みの全貌が明らかにされ、この謎も見事に解き明かされる。これこそ産学連携の産物である。受容体遺伝子の同定、信号伝達の解明などは最先端の知識と技術を駆使しなければなし得ない難題であり、企業単独ではとても完遂できなかったと今にして思う。
初出:日経バイオテクONLINE 2017年2月6日掲載。日経BPの了承を得て掲載 |