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【アクテムラとわが研究人生 vol.19 産学連携はバブル景気の賜物】

2025.01.07

産学連携はバブル景気の賜物

 

 

 

 IL6を阻害する自己免疫疾患治療薬の開発を夢見て大阪大学と共同研究が始まったのは、1986年、バブル景気の真っただ中だった。我々のたゆまぬ基礎研究の継続が、両者の出会いを導いた。

 岸本先生の発表を聞いた私は、「IL6を抑制すればB細胞の活性を抑制し、その結果、自己免疫疾患が治療できる」と考えた。心房内粘液腫患者から得られた知見だけで、IL6阻害剤が自己免疫疾患の薬になるとの発想を抱き、阻害剤探しを敢行することを思い立った者は他にはいなかったであろう。長年にわたりSLE(全身性エリテマトーデス)マウスで発病機序を研究してきたからこそ思いついたのである。胸腺を欠き、T細胞が存在しなくても自己免疫疾患が発症するという留学先での知見が臨床の場でも支持されたわけで、我々が追い求め途中で挫折したB細胞活性化誘導因子がIL6そのものかもしれないとの直感が働いた。そうはいっても、成功するかどうか極めて不確実性の高い冒険であることには変わりはなかった。

 岸本先生の学会発表の内容を会社に持ち帰り、研究本部の幹部会議で説明し、大阪大との共同研究を提案した。提案は採択され、早速、大阪大に先生を訪ね、共同研究のお願いをした。入社以来の指導者である西井さんと2人で訪ねた。若輩の私では心もとなく思った研究開発本部長の梅本賢次さんの指示によるものだった。対外折衝の経験が豊富な先輩に付き添いを命じたのだ。

 我々のこれまでのマウスでの研究成果をお話しし、IL6阻害剤の医薬品としての研究開発の可能性について説明したところ、岸本先生はその考えを理解し、興味を示した。しかし、「返事は、1週間ほど待ってほしい」と言われた。1週間の猶予期間は、岸本先生の恩師で、大阪大細胞工学センター生みの親である山村雄一先生を説得するのに要する時間のようだった。実際には5日ほどで電話での快諾を頂いた。山村先生の立場では、中外よりも規模が大きく研究水準の高い、例えば武田薬品工業などとの共同研究を望んでおられたとしても無理はない。後々の話だが、技術的な問題が生じるたびにもたついて時間を費やす私たちを、岸本先生は「武田やったら1週間で解決するぞ!」と叱責された。山村先生の思いに反して岸本先生が中外を共同相手に選択したことを後悔されたのであれば申し訳ないと思ったが、半面、チャレンジ精神の強い中外だからこそ成功できたとの自負もある。

 一方、面談の際に岸本先生から提示された研究費負担額は、私には相当な金額と思えたので、本部長の了解は得られないだろうと半ば諦めていたが、本部長は二つ返事でOKを出した。後から思うと、当時はバブルの絶頂期であり、研究本部では外部資源の有効活用がうたわれて他の共同研究プロジェクトにも多額の資金が投入されていた。そう考えると、アクテムラもバブル経済の産物と言えなくもない。

 何はともあれ86年に、IL6阻害剤開発を夢見て第一歩を踏み出した。それまでは出口の見えない暗闇をさまよっていたのが、格好の疾患標的分子に遭遇し、闇夜の彷徨に終止符が打たれた。研究テーマ名は、IL6の当時の呼称であるBSF2に基づき「BSF2アンタゴニスト」とし、既存のB細胞阻害剤探索研究テーマであった「PBM検体」とは独立させてスタートを切った。担当することになったのは、その半年ほど前に米国立衛生研究所(NIH)の癌研究所(NCI)への派遣から帰国したばかりの福井博泰さんで、しばらくして熊本大学に派遣されていた小石原保夫さんが別のグループに所属しながらチームに加わった。また、別の研究室に所属していた平田裕一さんは遺伝子工学のエキスパートとして大阪大の岸本研究室に派遣され、平野俊夫先生と田賀哲也先生の指導の下、IL6受容体遺伝子のクローニング作業に従事した。

 

初出:日経バイオテクONLINE 2017年1月23日掲載。日経BPの了承を得て掲載

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