【アクテムラとわが研究人生 vol.10 海外留学が転機に】
2024.11.05
敗れたNature誌への挑戦
軟寒天ゲル上に形成したB細胞コロニー。
私が分担執筆した「新薬開 発のための薬効スクリーニング法」
p.178 、小澤光監修、清至書院(1984)より転載
UCDavisに留学時代の私。30年たってGershwin博士から入手したスライド
1978年8月末、妻と子供3人を連れ立ってサンフランシスコ国際空港に着陸した。機内からタラップに最初の一歩を踏み出そうとしたその瞬間、何とも言えない奇妙な感覚にとらわれた。未知の世界で未知の生活が始まることへの不安と希望が混ざり合い、前に踏み出す足に靴の重みを感じてちゅうちょするという感覚だった。
入国手続きを済ませてゲートをくぐると、William Saitoさんという日系3世の方が出迎えてくれた。留学先であるUC Davis校のM. E. Gershwin研究室のテクニシャンである。「大杉さんですね!」と声を掛けてもらった後、片言の日本語で話してくれてほっとした。彼の自家用車(Volvo社製の柿色のステーションワゴン)で空港を出てハイウエイを15分ほど北上し、サンフランシスコでルート80に入り、ほぼ真東に方向を変える。ベイブリッジを渡るとすぐにバークレーの町、そこからさらに1時間程度のドライブでデービスの町に着いた。途中カリフォルニア・ワインで有名なナパバレーのそばを通る。デービスまで2つ、3つ低い山を越えると砂漠のような景色に一変する。夏の間、雨が降らないので草木が育たず一面はげ山と化してしまう。サンフランシスコの気温は夏でも20℃ちょっとだが、デービスは40℃に達する。なお、デービスからそのまま東へ20分くらい走ると州都サクラメントである。日系人が多いのですし屋など日本食レストランもあり、和食用の食材も買えるので助かった。ただし、価格は2倍近かった。
さて車は、UC Davis校で長く研究されておられる海津鬨男さんのお宅に直行し、そこで一休みさせていただいた。海津さんとはこの日が初対面であったが、大学時代にAICA誘導体の合成で指導を受けた飯島千之先生(後に明治薬科大学教授)から紹介されて手紙で何回も連絡を取り、我々が渡米する前にアパートを探してくれていた。奥さまの陽子さんは、私たちと薬学部の同級生である。Gershwin博士はすぐにラボに連れてくるようにと海津さんに言ったそうだが、長旅で疲れているだろうから明日にしてやってくれと断ってくださったそうだ。
翌朝、Gershwin博士のオフィスで初顔合わせをした。もう1人の日系3世のRonald槙島さんが私の世話役なので、私と一緒に会合に出席して博士の話をノートに取り、ラボに戻ってからもう一度話の内容を説明してくれた。Gershwin博士は、私の留学目的がカルフェニールの抑制性T細胞に対する作用様式を研究することであるのを忘れているかのように、最初の会合でいきなりB細胞コロニー形成の実験手技のマニュアルを見せ、その通りやるよう指示した。私は何も言えないまま、それに従わざるを得なかった。
留学先としてGershwin博士の研究室を選んだのは、カルフェニールによる抑制性T細胞活性化の仕組みを解き明かしたかったからである。リンパ球にはT細胞とB細胞の2種類あり、抗体産生細胞に分化するのはB細胞だけである。B細胞を増殖活性化するのはヘルパーT細胞と呼ばれる細胞で、抑制性T細胞は逆にB細胞の活性化を抑制する働きを担っていると考えられていた。Gershwin博士は、米国立衛生研究所(NIH)から赴任して間もない新進気鋭の若い免疫学者で、Norman Talal博士や Alfred Steinberg博士らが兄弟子である。
彼ら一派は、全身性エリテマトーデス(SLE)の免疫学的病態研究で多くの業績を残しており、SLEの動物モデルであるNZB/NZWF1マウスでの研究から、抑制性T細胞の機能が加齢に伴って低下することが自己抗体産生の原因であると提唱していた。しかし、留学が決まってから実際に渡米するまでの1年程度の間に、B細胞研究に新しい道を開く1つの技術が登場していた。
軟寒天中で血液幹細胞を含んだ骨髄細胞を培養すると、元の1つの幹細胞の周囲に多数の細胞の輪が広がって細胞集団の塊(コロニーと呼ばれる)を形成する。この培養方法がオーストラリアのメルボルンにあるWalter & Eriza Hall Institute(略称WEHIと呼ばれる有名な研究所)のMetcalf博士によって確立されたのである。
骨髄細胞を培養するときに赤血球を増加させるエリスロポエチンと呼ばれる因子を添加すると赤血球コロニーが形成されるし、またGranulocyte colony stimulating factor(G-CSF)を添加すると顆粒球のコロニー形成が認められる。この原理がB細胞にも応用されて、B細胞増殖作用を有するリポポリサッカライドを添加して培養するとB細胞のコロニーを形成させることができたのである。
この手法によって、胎生期肝臓や骨髄のようなT細胞に依存しない(T細胞から独立した)免疫組織でのB細胞の働きを解析することが可能になった。このような研究の新しい潮流に乗って、Gershwin博士らはSLEにおける自己抗体の産生が、抑制性T細胞の機能低下ではなく、B細胞の異常活性化によるとする「B細胞原因説」を着想し、それを検証する研究を計画していたのである。そうとは知らずに私は渡米したわけであったが、今にして思えばこの日がアクテムラ誕生の原点となる大きな転機となったのである。
先を探し始めた。自己免疫研究で世界の先端を走る、主に米国の研究室15カ所程度に狙いを絞り、ポスドクとして受け入れてくれるかどうかを打診するための手紙を送った。半分ぐらいは「なしのつぶて」で約5カ所からは「100%自己負担であれば受け入れる」という返事をもらった。「一定額の給与を支払う」との返事が来たのはUniversity of CaliforniaとCornell Universityである。わずかでもサラリーをもらった方がやりがいがあると考えたので、どちらかに決めようと思った。最後までどちらにしようかと迷ったが、最終的にUniversity of Californiaを選んだ。自己免疫疾患と免疫調節異常に関する研究ができそうだったからである。
初出:日経バイオテクONLINE 2016年11月7日掲載。日経BPの了承を得て掲載