【アクテムラとわが研究人生 vol.9 敗れたNature誌への挑戦】
2024.10.29
敗れたNature誌への挑戦
SLEを自然発症するB/WF1マウスでは、抑制性T(Ts)細胞の機 能低下で自己抗体を産生する。
カルフェニールはTs細胞を活性化して免疫状態を正常化するという仮説を提唱した
博士論文要旨の表紙
カルフェニールの研究に携わることになって、まず最初に取り組んだのは全身性エリテマトーデス(SLE)という自己免疫疾患を自然発症するマウスを用いての実験だった。そのマウスはそれぞれNZB、NZWと呼ばれる系統のマウスを交配して生まれる交雑系第一代でNZB/NZWF1マウスと呼ばれている。もし、そのマウスにカルフェニールを投与して抑制性T細胞の機能を回復できれば、自己抗体の産生を抑制して病気の発症を予防するであろうとの仮説を立てた。この仮説は的中し、カルフェニールは抑制性T細胞機能を活性化し、疾患を予防しマウスの寿命を著しく延長した。しかし、残念ながら、血中の自己抗体のレベルはわずかしか低下しなかった。
若気の至りではあったが、この研究成果を高根の花であったNature誌に投稿した。論文の審査に当たった米国の研究者の研究室に留学していた日本人から後日聞いた話では、「興味ある論文だけど、自己抗体があまり減少していないなあ」とコメントされていたそうである。結局掲載とはならなかったが、これが私の研究生活における最初で最後のNature誌への挑戦である。その後、この研究成果は英国のJournal of Pharmacy and Pharmacology誌に掲載されるが、マウスの延命効果とSLE腎炎の発症予防効果に焦点を絞り、抑制性T細胞や自己抗体に関しては考察を加えるにとどめた。作用機序に関しては証拠不十分であると自己評価したためであった。
果たして本当にカルフェニールは低下した抑制性T細胞の機能を高める作用を持っているのだろうか、もしそうだとしたら、それはどのような機序で起こるのか、私の興味をかきたてた。しかし、これ以上自力で研究を展開していくことには無理があったし、このテーマを抱えて海外に留学するのが長い間の夢をかなえる ことになるので、一挙両得であると考えた。
留学の夢が実現
抗アレルギー作用を有する化合物AB-50の研究結果をまとめた5つの論文が私の学位論文となった。同時に提出を義務付けられた3報の参考論文はミコフェノール酸に関する研究結果をまとめたものである。提出先 は前々から相談してあった大学の出身教室である。
論文審査の主査はもちろん、恩師の青沼教授 である。副査は薬理学と薬剤学の2人の教授が務めてくださった。入社8年後の1977年にかなえられた博士号取得の夢である。
博士になって初めて一人前の研究者として認められ、やっと研究者としてのスタートラインに立てたことになる。この夢の実現に至るまでの数年間は、自分でも不思議なぐらい研究と投稿論文作成に没頭した。夕食時にお酒を飲むと眠くなって論文執筆に支障を来たすので我慢する。論文を書き出すと切りがなく就寝のタイミングを失って睡眠時間が短くなった。布団に入ると、頭がさえ、そんなときにうまい文章を思いつくと寝床から起き上がって忘れないようにとメモを残す。妻に原稿の校閲や清書を頼むこともあった。一方、勤務時間内は、同時並行で進めているAM-682とカルフェニールの2つの研究テーマに関する実験を行い、たくさんの新しいデータを蓄積しては報告書を書いた。共同研究していた中野さんは、「あまり無理をしないように」と心配してくれた。彼の友人である研究者が過労による眼底出血で急死したというのだ。
次は海外留学の夢の成就である。当時、中外製薬からは毎年2、3人程度の研究者が海外留学していたが、会社の承諾を得るのは簡単 ではなかった。上司の理解、多大なバックアップがあって初めて留学は実現するものである。
先輩の西井さんは私を留学させたいと思い、研究本部の幹部に働き掛けてくださったが、「なかなか難しい問題もあり、すんなりとは話は進まないが、大杉のシンパが多くいることが分かった」とのことだった。つまり、私の留学を推してくれる幹部がいる一方、難色を示す幹部もいることを意味していた。最終的に、当時同じ研究所に勤めていた妻が退職し、子供3人も一緒に渡米する予定であると、先輩を介して会社に伝えたところ、「そこまで考えているなら」と、留学が許可された。
やっと留学の許可が得られたので、留学候補先を探し始めた。自己免疫研究で世界の先端を走る、主に米国の研究室15カ所程度に狙いを絞り、ポスドクとして受け入れてくれるかどうかを打診するための手紙を送った。半分ぐらいは「なしのつぶて」で約5カ所からは「100%自己負担であれば受け入れる」という返事をもらった。「一定額の給与を支払う」との返事が来たのはUniversity of CaliforniaとCornell Universityである。わずかでもサラリーをもらった方がやりがいがあると考えたので、どちらかに決めようと思った。最後までどちらにしようかと迷ったが、最終的にUniversity of Californiaを選んだ。自己免疫疾患と免疫調節異常に関する研究ができそうだったからである。
そうこうする中、カルフェニールは非臨床試験が無事に終了し、臨床試験の段階に入った。薬の開発がこの段階に差し掛かれば研究者はお役御免となるわけで、留学のタイミングとして絶好の時機到来であった。AM-682の研究は新入社員として入社したての山下泰弘さんに委ねて日本を飛び立った。入社して4、5カ月の間に、必要な実験技術・手技を全て移管させられた山下さんは大変であったろうと申し訳ない気持ちであった。
初出:日経バイオテクONLINE 2016年11月7日掲載。日経BPの了承を得て掲載