【アクテムラとわが研究人生 vol.13 カルフェニールが生んだ3つのイノベーション】
2024.11.26
カルフェニールが生んだ3つのイノベーション
CS検体の研究動機について述べた著者直筆の社内用資料の一部
アトピー性患者とSJL/JマウスにおけるIgE産生制御機構破綻の相同性を示し た資料で、
抑制性T細胞の機能不全を原因とする仮説(社内検討会用に著者が作成)
カルフェニールの育薬研究から3つの新しいイノベーション創出の方向性が生まれた。第1番目は、IgE産生を制御する抗アレルギー薬の研究である。米California大学に留学する前に、AM-682の研究を委ねた山下泰弘さんが、カルフェニールの抑制性T細胞増強作用に興味を持ったことは前回述べた通りである。
IgEの発見者である米Johns Hopkins大学の石坂公成博士のグループが、IgE抗体産生を負に制御する抑制性T細胞や抑制性因子の存在を示唆する実験結果を次々と公表していた。そんな中、1977年に、SJL/Jマウスでは放射線照射によりIgE産生が亢進するが、これは抑制性T細胞の機能低下が原因であるとする報告を、米Harvard Medical SchoolのDavid Katz(同年にScripps Clinic and Research Foundationに異動)の研究グループが行った。これにヒントを得て、もしかしたらカルフェニールの免疫調節作用によってIgE産生を制御できるのではないかと考えたのである。
この実験系を用いて実際に実験してみたところ、カルフェニールがIgE産生を有意に抑制することが分かり、論文発表した(Int Arch Allergy Appl Immunol. 1987)。そこで、前出の合成担当の森陸司さんに相談したところ、興味を持っていただき、新規化合物を合成し、カルフェニールを上回る効果を有する新規の開発候補品の探索を実施することになった。この時、少し欲張った構想を持って、AM-682のようなPCA(Passive Cutaneous Anaphylaxis)反応を抑制する作用を併せ持つような化合物の合成を目指すことにした。IgE抗体は気管支喘息やアトピー性皮膚炎などI型アレルギー反応に関与する抗体なので、1つの化合物でIgE抗体産生抑制と抗アレルギー作用が合わされば、有効性が倍加すると期待したからである。
このプロジェクトは83年頃に開始された。合成された新規化合物について、SJL/JマウスでのIgE産生抑制作用とラットでのIgEによるPCA反応抑制作用を同時並行で実施して、両反応のいずれをも抑制する化合物のスクリーニングを繰り返し実施した。
有望な開発候補品を見いだすに至った後、しばらくして、山下さんが留学することになった。この研究を引き継いだのは、免疫研究グループのメンバーで85年入社の内山さんである。東京生化学研究所におられた前出の橋本嘉幸さんは、その時には、東北大学薬学部教授になっておられ、内山さんが修士課程を修了するまで研究指導に当たられた。そんなわけで、内山さんを通じて、橋本先生から「このプロジェクトの着眼点はユニークで素晴らしい」とのお褒めの言葉を頂いたことがうれしく、今でも記憶に新しい。
内山さんは、化合物CS-1433が臨床早期第II相パイロット試験に至るまでの基礎研究を主導してくれた。88年8月に第Ⅰ相試験を開始し、11月に終了。翌年には複数の施設で、アトピー性皮膚炎、鼻アレルギー、そして気管支喘息患者を対象に症状改善、血中アレルゲン特異的IgE抗体量、並びに末梢血リンパ球のin vitroでのIgE産生能などを測定し、有効性を調べる試験を開始した。しかし、期待したIgE抗体の産生抑制効果を確認することができなかった。90年5月25日開催の中間検討会における専門医の意見を判断材料として、会社は臨床試験の継続を断念した。
X線照射SJL/JマウスのIgE産生モデルが、ヒトアトピー性疾患患者におけるIgE産生の調節異常を反映していないという可能性を否定できない一方、残念な結果に終わった要因は他にも考えられる。実は、本化合物のような作用様式を有する薬剤の場合、季節性花粉症などの患者を対象として、スギ花粉などのアレルゲンに曝露したときに上昇する抗原特異的IgE抗体の産生誘導に対する抑制効果を調べるべきだった。しかし、そのような試験をデザインすることの困難性が臨床試験を担当する部署に二の足を踏ませた。これまでに存在しない斬新な作用機序を有する新薬の発明には誰も解決しようとしなかった難題に向かって積極的に挑戦する勇気と気概が要求されるのであるが、なかなか事情が許さないのが現実だ。
IgE産生の抑制は、アレルギー疾患に対する究極の治療法であることは誰も否定しないだろう。アレルギー学を専門とする全ての者にとって果たしたい夢である。癌の免疫療法は、長期にわたって何回も挫折を味わいながら、チェックポイント阻害薬の発見によってよみがえった。もしかしたら、制御性T細胞にも何らかの負のシグナルが入ることによって疲弊状態に陥る可能性があるかもしれない。「制御性T細胞の負のシグナル」発見に挑戦する若手研究者の出現を期待したい。
カルフェニールの育薬研究から生まれた第2番目の研究は、そのSLE腎炎抑制効果に着目したもので、免疫研究グループの片桐さんが、精力的に取り組んでくれた。カルフェニールの誘導体の中から、実験的腎炎に有効で、尿細管上皮に対する副作用の無い化合物として開発候補品に選ばれたのが、TO-115である。カルフェニールの合成発明者である種村満さんが合成したカルフェニールの類似構造化合物である。片桐さんは中野利昭さんらと協力してNZB/NZWF1マウスやMRL/lprマウスで腎炎発症を抑制することなどを明らかにした。
片桐さんの退職に伴い、後を引き継いだのが免疫研究グループの三原さんである。彼は、AB-50やAM-682の研究開発時にライバルであった岐阜薬科大学の江田昭英教授の研究室の出身で、就職に際しては、教授から私に直々に電話を下さり、彼を紹介いただいた。修士課程終了まで永井博弌先生の指導を受けており、免疫アレルギー領域の知識が豊富で動物実験に非常にたけていた。SLE腎炎に限らず馬杉腎炎でも有効性を発揮することなどを見いだし、プロジェクトを発展させてくれた。その後、三原さんは、私の下を離れて他のプロジェクトを担当するが、94年頃にアクテムラチームに加わってからは、SLE腎炎マウスや関節炎マウスで次々と薬理作用を明らかにするなど業績を上げてくれた。
我々は、1986年7月25日、日本炎症学会において、TO-115の抗腎炎作用についての発表を行い、同29日付の「日刊薬業」(第6924号)に「中外製薬が慢性糸球体腎炎をターゲットとする免疫調節系の新規物質のイン・ビボ効果を初めて報告した」、そして「死に至ることもある同疾患を防げれば臨床的意義は大きい」と報じられた。
しかし、MRL/lマウスでの結果では有効投与量が100mg/kgと大量であること、また、腎炎発症抑制作用が自己抗体の産生抑制を介したものではないこと(Mihara & Ohsugi, J. Pharmacobio-Dynamics, 1989)、さらに、愛知県がんセンター研究所、京都大学医学部、浜松医科大学などの外部施設で実施していただいた、バッファロー系ラット自然発症腎症モデル、ddY系マウス自然発症IgA腎症モデル、BSA実験的腎炎などでの有効性試験の結果を分析し、97年後半から98年初めにかけて本プロジェクトは頓挫した。
第3番目が、言わずもがな、アクテムラである。前2者が、カルフェニールの抑制性T細胞活性化作用に着目したのに比し、自己免疫疾患の治療をB細胞の制御に懸けた点で異なっている。
カルフェニールの発売に成功したとき、私に次の新たな目標が芽生えた。カルフェニール1つだけではフロックだと言われるだろうから、必ず、2つ目の新薬の研究開発に成功したいという強い思いである。そうなれば周囲から「大杉は2つも新薬の開発に成功した」と言って評価してくれるだろうという思いが次なる夢の達成への原動力となった。
初出:日経バイオテクONLINE 2016年12月5日掲載。日経BPの了承を得て掲載